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プラテーロとわたし(ヒメーネス)/アンダルシアのセラニート弁当

ろばを飼いたい、とずっと思っている。
ふんわりと銀いろのろば。名前を呼ぶと、うれしそうに駆け寄る。

そんな思いをいだき続けているのは、スペインの詩人ヒメーネスによる『プラテーロとわたし』の影響だ。月のように銀いろの、やわらかい毛並みのろばプラテーロ(銀 Plataから)にやさしく語りかけながらアンダルシアの故郷で過ごした日々を記す散文詩。

手綱をはなしてやる。すると草原へゆき、ばら色、空いろ、こがね色の小さな花々に、鼻づらをかすかにふれさせ、生暖かな息をそっと吹きかける…わたしがやさしく、「プラテーロ?」とよぶと、うれしそうに駆けてくる―
笑いさざめくような軽い足取りで、妙なる鈴の音をひびかせながら…

「1 プラテーロ」より

悶えるくらいかわいい。描写だけなのに。(ろば飼いたくなったでしょ?)

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アンダルシア弁当をつくる

ざんねんだけど、ろばは飼えないので、プラテーロとお散歩にいくときのお弁当を妄想してつくってみた。プラテーロの好物は、詩のなかにある。

わたしのあたえるものをみんな食べる。とりわけ好きなものは、マンダリン・オレンジ、一粒一粒が琥珀のマスカットぶどう、透明な蜜のしずくをつけた濃紫のいちじく……

というわけで、お弁当にはぶどうといちじくを入れることに。

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人間用にはセラニートSerranitoというアンダルシアのサンドイッチを。
グリルした豚肉とピーマン、ハモンセラーノ(生ハム)をはさんだ、味わいの複雑なサンドイッチなのです。

作りかた
《セラニート》Serranito
・パンをあたためる(ハード系がおすすめ)
・豚肉とピーマンをオリーブオイルでじっくり焼き上げる、塩は控えめに
・パンに豚肉、ピーマン、生ハムをはさみ、上からプレスする
※ピーマンにバルサミコ酢をさっとかけてもおいしい。

《青いぶどうのサラダ》
・ディルを刻む
・マスカット、オリーブオイルと白ワインビネガー小さじ1/2ずつ、ディルをあえる。生ハムをちぎる。
※グリーンシードレスグレープを使用。ぶどうは皮ごと食べられるものがおすすめ。

いろどりよく詰めたら、お弁当のできあがり。

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セラニート、めちゃくちゃおいしい!
豚肉の香ばしさ、ピーマンの甘さ、生ハムが重層的に響き合ってとてもいいお味。できればあたたかいうちにどうぞ。

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美しいだけではない世界に、わたしのろばがいる

お弁当さんもってプラテーロとどこにいこう。
詩では、野原や町、ぶどう園などにプラテーロと「わたし」があちこちへ出かける。

プラテーロといちじく畑でたわむれたり薔薇を見たりする詩も美しいけど、この詩集はそれだけではない。副題に「アンダルシアのエレジー(哀歌)」とあるように「狂人(エル・ロコ)「流浪の人たち(ウンガロ)」など、さすらう人たちや病人も出てくる。美しいだけではない世界。

いちばん心に残ったのは「古い墓地」に行く話。
墓地で、墓のあいだを歩きながら、詩人はろばに語りかける。

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さぁ、ついておいで…プラテーロ。これ(引用者注:墓)はね、あんなに愛らしかった結核の少女、あのかわいそうなカルメンのだよ…、ごらん、日の光で輝いているその薔薇を…黒い瞳のまま生きられなかった、月光香の花のような少女がここに眠っているのだよ…それから、これがね、プラテーロ、わたしの父が…プラテーロ…

Photo by Miguel Á. Padriñán

ここで詩はおわる。「プラテーロとわたし」(1917)はヒメーネスが24歳のときマドリードからアンダルシアの故郷モゲールに戻り、静養していた頃に書かれている。最大の理解者だった父を亡くした詩人はショックのあまりノイローゼになったそう。父の死後に家運も傾き、所有していた農園やぶどう酒醸造所の多くを失ったらしい。

人を失うことはほんとうに辛い。

こういった言葉にできない悲しみが、動物のやさしい瞳で、動物がそこにいてくれるだけで癒やされていくことがある。

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10年くらい前のこと。辛さのあまり家でふっと涙を流した瞬間、飼い犬が、さっきまで一心不乱におもちゃで遊んでいたのをパッとやめ、心配そうにじーっと覗き込んでくれたことがある。あの子は空に旅立ったけれど、あの黒々とうるんだ瞳を忘れることができない。だからこの、父の死を前に「プラテーロ…」と呼びかけるシーンではいつもわたしも泣いてしまう。

詩人もまた、プラテーロのあたたかさ、美しい瞳に、どれだけ助けられていただろうかと思う。

人生は、美しいけれど残酷だ。それをしみじみ、「プラテーロとわたし」を読むと思う。でも、その世界に、「誰か」がよりそってくれることがどんなに大きな支えであるか、とも思わせられる。ときどき取り出して読む本です。

詩の最後は「故郷の土で眠るプラテーロへ」そして、詩集のあとがきにはヒメーネスもまた死後に故郷の土に帰ったことが記されていた。いつか、彼らが眠る墓地へ行ってみたい。

作者とおすすめの本

J.R.ヒメーネス(1881− スペイン・アンダルシア生まれ。

アンダルシア・モゲールで恵まれた少年時代をすごし、15歳で家業を継ぐため法律を学びにセビーリャに出たところ、芸術的センスが爆発。寛容な父が許し、はじめ絵画、やがて文学に転じる。セビーリャ滞在中に詩作をはじめ、新鋭詩人として認められるようになった。マドリードで近代詩にふれ、新鮮なイメージと音楽的な韻律で「美」を再発見することに奮闘。19歳のときの父の死にショックを受けノイローゼになりボルドーで療養、このときフランス詩の知識を深める(長い目で見ればよかった…のかな)。1905年にアンダルシアに帰り、静かな療養生活を送りながら近代詩への挑戦はやめず、「プラテーロとわたし」におさめられた138篇のほとんどを故郷で書いた。ヒメーネスは75歳のとき、抒情詩の発展への寄与が評価され、ノーベル文学賞を受賞。膨大な詩のなかでも世界中で愛読されているのは青年期にかかれたこの一冊、「プラテーロとわたし」。個人的には、ブッダの「生老病死」的な感じがする。ブッダは出家し、ヒメーネスは詩を書いた。

長南実さんの訳文が美しくて好きです。

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