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【詩を食べる】赤毛のアンと春の朝(ブラウニング)/スナップえんどうのポタージュ

詩を文字通り「味わう」ためのエッセイとレシピです。レシピもあるので、よかったら詩を読んで味わい、作って味わってみてください。

いつものやさしい朝

福岡の海辺のまちに住みはじめて、はや1年がたつ。
秋、畑にまいたスナップえんどうが大きく成長し、この春たわわに実をつけてくれた。

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朝、畑をいじっていると小学生たちが元気に通り過ぎる。てんとう虫たちは、のそのそと動き出す。いつもの朝。

あまりにたくさんスナップえんどうがなったので、歩いてすぐのご近所さんにおすそわけに。すると、「ちょうどべっぴんさんが通りかからないかなと思っていたんだよ」とお世辞つきで新玉ねぎをもらう。ぴかぴかの新玉ねぎ。今日も晴れ。

赤毛のアンじゃないが、「神は天にあり、世はすべてよし(God’s in his heaven, all’s right with the world)」とそっとつぶやきたくなる春の朝。

赤毛のアンがつぶやく詩

アンが胸をときめかせながら成長したプリンスエドワード島の春もまた、きっと美しいだろう。

わたしにとってはじめての文庫本が、小四のときに買ってもらった『赤毛のアン』だった。(新潮文庫のぶどうのマークを見て、「文庫本」の大人っぽさにドキドキした。)その頃、アンと一緒に怒って泣いて笑った。”eつきのアン”で呼んでくれないやつらは憎かったし、初期のギルバートはさいあくだった。マリラの紫水晶のブローチを盗んだと疑われたときには一緒に「絶望」したし、疑いが晴れピクニック行きを許されたときにはわたしも大はしゃぎした。

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喜怒哀楽が大げさで、こだわりの強い少女アン。物語の後半ではその豊かな空想力をいかして、しなやかな勁(つよ)さを見せる。孤児だった自分を育てたマリラの目の病気のため進学をあきらめ、地元で教師になることを決めるのだ。「アンの夢は」と躊躇するマリラに、アンはきっぱりと言う。

今だって将来の夢はあるわ。ただ、その目標が変わったのよ。いい教師になること、そしてマリラの目を大切にすることよ。(中略)クィーン学院を出た時は、私の未来は、まっすぐな一本道のように目の前にのびていたの。 (中略)でも、今、その道は、曲がり角に来たのよ。曲がったむこうに、何があるか分からないけど、きっとすばらしい世界があるって信じているわ」

(村岡花子訳)

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まっすぐにのびていた夢が絶たれても、身近な幸せを抱きしめ、希望にもえるアン。その後、長年のライバルだったギルバートが、地元の学校でアンが教えられるよう取り計らってくれたことを知り、二人の関係は急に温かいものに。2、3分立ち話をしていたつもりが30分以上話し込む(かわいい)。

そんな日の夜、アンが窓辺にすわって満ち足りた気持ちでつぶやくのが、「神は天にあり、世はすべてよし(God’s in his heaven, all’s right with the world)」というロバート・ブラウニングの詩の一節。これが物語のおしまいだ。

(よかったね、アン)…子どもだったので、「世はすべてよし」に実感がわかなかったものの、ほかのどんな物語よりも心にしみるエンディングだった。本当に「世はすべてよし」かはどうでもよく、アンがそう思えたのが大事だし、親友・アンの境地が自分のことのようにうれしかった。

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わたしたちの周りの世界は、美しく構成されている

アンの最後のささやきは、詩劇『ピッパが通る(原題:Pippa Passes)』の劇中歌Pippa’s Songから。

年は春
時は朝
朝は七時
丘の斜面には真珠の露がおり
ひばりは空に舞い
かたつむりはサンザシに這う
神は天に在り
この世はすべてよし!
The year’s at the spring. And day’s at the morn;
Morning’s at seven; The hill-side’s dew-pearled;
The lark’s on the wing; The snail’s on the thorn:
God’s in his heaven, All’s right with the world!
(松本侑子訳)

露は丘に、ひばりは空に、かたつむりは枝に。それぞれがいるべき場所にいるーそれだけで満ち足りている世界。今いる場所は、かつて思い描いていた世界ではないかもしれない。でも、そこにいるだけで光り輝き調和している世界に気づいた時、ここにいる喜びをしっかりと感じ、「この世はすべてよし!」とつぶやきたくもなる。

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詩劇では、ピッパが歌いながら通ると、うっかり周りの人の心まできれいになる。マリラやマシュウをはじめ、まわりの人たちをそれと気づかぬままに変えていったアンの姿は、ピッパと重なる。

詩の原文を読み上げると、ととのった韻にも「美しく構成されている世界」観があらわれているように思える。

The year’s at the spring. And day’s at the morn;
Morning’s at seven; The hill-side’s dew-pearled;
The lark’s on the wing; The snail’s on the thorn:
God’s in his heaven, All’s right with the world!

(springとwing、mornとthornなど、1行目と3行目/2行目と4行目がそれぞれ韻を踏んでいる)

「ただいま」の声はいつもやさしい。スナップえんどうのポタージュ。

さて、美しい詩をあじわったところで、わたしの台所にもどろう。
いただいた新玉ねぎを抱えて「ただいまー」と言うと「おかえりー」の声にほっとする。
スナップえんどうと新玉ねぎを使って、アンの住むグリーンゲイブルズをイメージしたポタージュをつくる。

材料
・スナップえんどう15個ほど
・新玉ねぎ1個
・じゃがいも小1個
・水100cc
・牛乳200cc
・コンソメ 5g
・バター 15g
・塩
作りかた
①スナップえんどうは筋をとり、新玉ねぎはうすくスライスする。
②新玉ねぎ、じゃがいもをバターで炒め(焦がさないように注意)、100mlほどの水を加え、弱火で10分ほど蒸し煮して旨味を引き出す。
③スナップえんどう、コンソメ少々を加え、弱火で10分ほど煮る。牛乳を加え、あたためる。※分離しないように注意
④粗熱がとれたら、ミキサーやブレンダーで撹拌し、裏ごし。塩で調味。

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ポタージュは、心にも体にもじんわりやさしい。みどり色は、いつもアンの心が帰るグリーンゲイブルズの屋根の色。「ただいま」を受け入れてくれる色。

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ここにいていい、ということ

そういえば、スナップえんどうがたくさんなったという話を友人にしたところ、「すばらしいね。豆は土を豊かにしてくれるんだよ!」と教えてもらった。毎日かわいい豆で楽しませてくれているのに、さらに土を豊かにしてくれるなんて。まさに、アンという存在がプリンスエドワード島に来て、まわりにたしかな幸せが広がっていったかのようだ。

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このまちに住んで1年、おすそ分けしたい人たちの顔が浮かぶようになった。「ここにいていいんだ」という安心感はたしかなものになった。

アンは、進学という夢が絶たれたあと、あらためて故郷アヴォンリーに「なんてきれいなんでしょう。ここで生きていること、それが私の歓びだわ」というキラキラした瞳をなげかけている。福岡に帰ってくるなんて思ってもいなかったけど、わたしもまた、このまちが好き。このまちで新しい夢を見る。豆のように、この土を豊かにするお手伝いができたらいいな、とも思いながら。


後書き:「赤毛のアン」という「原点」

アンは、ことあるごとに詩を引用する。たとえば、女友だちと一緒に家を借りようとする場面。思うような物件が見つからず愚痴をこぼす友だちに「やめて、プリシラ。『最上のものは、これから来たる(’The best is yet to be.’)』よ」( 『アンの愛情』)と励ます。これもブラウニングの詩「ラビ、ベン・エズラ」(1864年)からの引用。

作者のモンゴメリは、よく寝る前にブラウニングの詩を読んでいたそうだ。ふだんから詩を読み、人生のあらゆる局面において周りや自分を励ます力にしていくアン、そしてモンゴメリ。わたしもまた、詩にいつも励まされ、うるおいや力をもらってきた。もしかすると、詩のソムリエの原点は、彼女たちなのかもしれない。

ブラウニングの詩について

この記事で紹介した「春の朝(あした)」。上田敏(うえだ・びん)による翻訳詩集『海潮音』で日本人に知られることになった。

時は春、
日は朝(あした)、
朝は七時(ななとき)、
片岡に露みちて、
揚雲雀(あげひばり)なのりいで、
蝸牛(かたつむり)枝に這ひ、
神、そらに知ろしめす。
すべて世は事も無し。



上田敏の美しい五・七のリズムと日本語訳も好きだけど、さいごの”All’s right with the world!”の訳としては「すべて世は事も無し」より「この世はすべてよし!」のほうがいいように思う。すべてを采配する神によせる信頼であるのと同時に、満足の行く選択をできた自分自身への信頼でもあるからだ。結局、選択するものを「すべてよし」にするのは、自分なのだから。アンは孤児だから、神様をうらむことも多々あったのではないかと思われる。そんなアンがつぶやくからこそ、”All’s right with the world!”は深い意味をもつ。

ブラウニングの別の詩は、こうも言っている。

善は善として存在し続ける
地にてはきれぎれの弧であっても
天にては完全な円
What was good shall be good, with, for evil, so much good more;
On the earth the broken arcs; in the heaven, a perfect round.
-Abt Voglerより

わたしたちの不完全な人生の1シーンも、きっと遠くから見れば、美しい円なのだろう。

詩人について

ロバート・ブラウニング(Robert Browning  1812年- 1889年)イギリス・ロンドン生まれ。

テニスンと並び英国ヴィクトリア朝の詩壇を代表する詩人。ちなみに、妻のエリザベス・バレット・ブラウニングも詩人。12歳で詩集を作り、14歳でギリシア語・ラテン語をマスター、古典を耽読…早めの中二病発症、いいぞ。そして、〈劇的独白〉と呼ばれる独自の表現形式で人間心理の機微をたくみにあらわすようになった。

17世紀ローマで起きた現実の殺人事件をめぐって、10人の異なる証言で構成した壮大な物語詩『指輪と本』は、「ブラウニングの弟子」を自称する芥川龍之介の「藪の中」の着想になった。

ちなみに、『赤毛のアン』はカナダが舞台だが、カナダはイギリス領だったため、イギリスの文化が色濃く残っている。アン(/モンゴメリ)のキリスト教観は、ブラウニングの詩にあらわれる宗教観にもよるものがある気がする。

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